お土産屋さんでもあれば,買って帰るんだけどな。
当然,そんな雰囲気はまったくありません。
とりあえず,仙台若林区を出て,地震と津波に破壊された港を右手に見ながら,北上してみました。
海なし県で育った私は,港と聞くだけで憧れてしまうのですが,
どこまで行ってもこんな景色しかなく,悲しい気持ちになるばかりでした。
そこに,「観光桟橋」の表示が。
行ってみよう!
うわー,観光は無理かな?
この辺りは,若林区以上に悪臭がひどかった。
でも・・・
あった!
マリンゲート塩釜!
こういうのを見ると,ほっとする。
でも・・・
芳美の右手側に地割れ。左手側が港。 地割れを境に,駐車場が海に向かって落ち込んでいるため, 駐車場がすべり台のように傾いている。 |
気を取り直して中に入ると,お客は少ないものの,お土産がたくさん並んでいました。
私「三陸わかめ,安いね。これ買おうかな」
店のおじさん「あー,それね,津波で生き残ったの。安くするよ」
私「・・・」
お土産にまでストーリーがあるのか・・・
お菓子を売っているコーナーで,お店のおばさんに声を掛けられました。
群馬からお土産を買いに来たと言うと,小さなアルバムを取り出して,私たちに3月11日のことを話し始めました。
アルバムの中は,津波の写真でいっぱいです。
おばさん(名前を聞きませんでした)は,「マリンゲート」で被災したのですが,港の遊覧船が「浮桟橋」につながれていて津波に流されなかったおかげで助かったそうです。
大きな遊覧船にはトイレや,携帯コンロもあったので,そこが臨時の避難所になり,3日間過ごしたそうです。
3日たって「マリンゲート」を出てからの話がすごかった。
おばさんの家は仙台市内にある(地図で見たら,20km近く離れている)けれど,車は流されてしまったし,道路もなくなってしまった。
そこで,5時間かけて,歩いて帰ったそうです。
そして翌日,「マリンゲート」を復活させるために,
また歩いて「出勤」し,
「スコップで」
港を埋め尽くした泥をすくい取ったというのです。
2か月がんばって,ついに「復興市」にこぎつけた,という話でした。
話を聞いている妻の目はキラキラ輝いて,もう,このおばさんのファンになっていました。
「今日は時間がないけど,近いうちに必ず遊覧船に乗りに来ます」
こう約束して,その日はお別れしました。
そして,約束通り,7月にもう一度お邪魔して,おばさんと記念写真を撮らせてもらいました。
写真を公開する許可をとっていないので, モザイクかけます。 おばさん,ごめんなさい。 |
おばさん,力強い話を聞かせてくれて,ありがとう!
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