長い道のりだったので,もう夜の7時です。
仙台駅は立派な駅ビルでしたが,節電のためか,中は薄暗くなっていました。
「東北楽天ゴールデンイーグルス」
のポスターだけが,明るい光を放っていました。
明日,明るくなってから被災地へ行ってみよう。
とは言うものの,思いつきで出発してしまった旅なので,宿の予約もしていません。
仙台駅周辺の大きなホテルは,どこも入れませんでした。
寝られればいいんだからとファッションホテルを探し,名取市でやっと見つけて泊まりました。
駐車場に,大きな地割れがありました。
頻繁に余震がありました。震度4の揺れもあって,とても落ち着いていられません。
地元の人は,毎日こんな中で暮らしてるんだ。もう2か月も。
テレビをつけても,震災の情報ばかりです。どんどん気持ちが暗くなっていきました。
翌朝。
余震でグラグラ揺れるファッションホテルを早々に抜け出して,再び仙台市内に入りました。
テレビで大変な被害があったとリポートしていた,若林区に行ってみました。
新しい家が多く,きれいな住宅地です。どの家も造りがしっかりしているらしく,福島よりも被害は少なく見えました。
突然,家並みが消えて,茶色の荒野が広がりました。
芳美も私も,同時に「あっ」と言いました。
何でもあるけれど,何もない世界。 |
帰るところを失った海の水。 海はどこにも見えない。 |
写真の左側が,防潮堤でもある高速道路。 高速の向こう側のはるかかなたに海がある。 |
一般道から高速道路を見上げる機会があったら,想像してみてください。
たくさんの車をのせた水の壁が,高速道路を乗り越えて迫ってくる様子を。
現地では容易に想像ができました。怖くて足が震えてしまいました。
車,大木,浴槽に冷蔵庫・・・そこには何でもありました。
しかし,どれもみんな茶色くなって死んでいました。
大きな爆弾を落として爆破した後に,重機で念入りにつぶしたような,人間ならばこんなことはしないだろうと思う景色が広がっていました。
そして,悪臭。
磯の香りと,古い油と,汚物を混ぜたようなにおい。
そして気づきました。私たちは昨日から一度も海を見ていません。
海ははるかかなた・・・こんなところまで海水が来るとは,地元の人も想像していなかったそうです。
言葉もなく,しばらく走っていると,荒野の中に人の気配が。
遠くにビニールハウスが見える。 |
この絶望的な荒野の中で生活している人たちでした。
おじいさんは畑に肥料をまき,買い物袋をさげたおばあさんが歩いています。
地震で波打った道路を,部活動の子たちがランニングしています。
土台だけが残った家の庭をほうきで掃き清めている人。
驚きました。
私は30分ほどいるだけで頭が変になりそうなこの世界の中で,普段の生活をしている人がいるなんて。
テレビでは,肉親を失って泣き崩れる人や,避難所でうつむく人ばかりを見てきていました。被災地の人は,みんなかわいそうなんだと思っていました。
それは,失礼な考えだと気づかされました。
みんな,自分の力で生きようとしている。
海水につかった畑で作物を育てようとしている。
家が流されても,庭をきれいにしようとしている。
涙が出てきました。
もっと,被災地の人たちを知りたいと思いました。
「なんか,この人たちと一緒に何かしなきゃいけないような気がしてきた」
「あたしもそう思った・・・」
生きようとしている人を見ると,放っておけない気持ちになる・・・それは,人間の本能のようなものなのかもしれません。
でも,何をすればいいのかは,わかりませんでした。
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